玉城町役場から女鬼峠、栃原まで

スタート地点は玉城町役場駐車場です。まずは東外城田神社(ひがしときだじんじゃ)まで国道を歩きます。

野中屋さんに寄り道し、「いばらまんじゅう」を購入しました。「サルトリイバラ」という植物の葉で、 小麦粉を練った皮とあんこをはさんで蒸しあげるお饅頭です。 この辺りではいばらまんじゅうですが、違う名前で食べられている地域もあるみたいです。野原の風味です。

「まごの店」開店(10:30)に間に合わせるため、予定を変更し、中嶋医院さんの前からハイエースに乗りました。 東外城田神社は天照大御神の息子さん、天之忍穂耳命(アメノオシホミミ)を主とした21柱が祀られています。とても静かで厳かな お社です。今回は参拝できませんでしたが、また時間があるときに訪ねてみようと思います。

玉城町にある旧熊野街道に面した観音堂の石仏様です。江戸時代は観音信仰が盛んで、神宮参拝をすませた人々は 田丸で巡礼衣装を整え、西国巡礼者となって、石仏庵の道引観音、三十三体仏に巡礼の 無事を祈り、無事巡礼を果たした人はお礼に観音堂の石柵に石柱を寄進したそうです。

まごの店があるのは「五桂池ふるさと村」です。五桂池は、三重県で一番の貯水量を誇り、周囲は3㎞以上あります。

ふるさと村には、まごの店以外にも、「おばあちゃんの店」や動物園があります。

まごの店では一番人気の「花御膳」を頂きました。煮物の味付け、とても美味しかったです。

女鬼峠越えのスタートは栃ヶ池です。すぐ脇の山は桜や紅葉が大変きれいそうで、 季節にはカメラマンが水鏡に移った桜を撮影に来られます。 底が浅く、お皿みたいになっているので地元では皿池とも呼んでいるそうです。

この栃ヶ池の湿地性植物群落は県の天然記念物に指定されています。ここに自生しているクチナシは、 自然に生えているものでは北限とされています。 クチナシは、昔から染料に使われたり、漢方薬にも使われます。 害が無いので、今も和菓子屋さんで着色料として使われています。 池の周りにもっとたくさん自生していましたが、道路などができ、環境が変わり減ってしまいました。 フラスコモ、ミズトラノオ、ウキシバなどの絶滅危種も自生しています。これらの種の保存の為、天然記念物に指定されました。

ところで、この近くには勢和多気インターがありますが、近くにアクアイグニスができます。 菰野のアクアイグニスの3倍以上の大きさで、ホテルも建ちます。地産地消の市場や料理店もできます。 薬草の温泉とか、医食同源をテーマにしているそうです。来年の春にオープンするそうです。 ツアーにも組み込もうと思っています。

遊歩道にはイタドリ、アケビも生えています。

佐奈地区はミカン、この辺りは柿、宮川のほとりはお茶の栽培が盛んです。

峠から手前が成川という土地です。右手に池が見えます。この池から伊勢市の豊浜へは外城田川(ときだがわ)が流れていて、  川の始まりの池だから成川という名前が付いたそうです。

マメナシの木は、県指定の植物です。ナシの原種です。北勢地域にも生えているところがあります。 桜と同じ時期に白い花が咲きます。その後、丸い小さなナシの原種がなりますが、全然美味しくないそうです。 めずらしい種類ですので、県の天然記念物として保護しています。

右手のあたり、以前は柿園でしたが、後継者がなく荒れ放題になってしまっています。 多気町は「前川次郎柿」を広めて、柿がたくさん栽培されていました。

案内板についているマークは、「統一道標」といい、スペインの巡礼道に習ってつけられました。 漢字が読めない外国の方が見ても迷わずに歩けるように、 ここから熊野までの道のり全部につけようと、整備されています。熊野あたりはまだ途中だそうです。

伊勢自動車道をくぐります。

平安時代、貴族が、自分たちの用心棒だと思っていた武士が力をつけてきて不安になり、 自分たちの世の中を平穏に、苦難を乗り切るために盛んに熊野詣でをしました。 吉野や高野山から大変な山道もある熊野古道を通って、後鳥羽上皇、後白河上皇などが、何度もお参りされました。 熊野の南には極楽浄土がある、と信じられていました。ちょうど、紀伊半島はインドに形が似ていると思われませんか? インドでは南の海の彼方に極楽浄土がある教えがありました。

熊野の信仰は自然信仰の厚い所で、岩・山・海など自然のものが信仰されました。

伊勢路は、平安時代末期頃にできました。こちらは貴族の道という趣は無く、 伊勢神宮にお参りに来た人が、せっかくだからその先にも参ってみよう、 極楽浄土へ向けて歩いて人生をやり直そう、病気や悩みを解決したい、そういう思いを持って歩きました。 伊勢神宮にお参りし、田丸で巡礼姿に身支度を整え熊野古道を通り、熊野三山をお参りした後、大阪や京都、四国お遍路をされました。 30~40㎞を1日で歩いたそうです。

途中で行き倒れることもあったため、死を覚悟で白装束の巡礼姿で歩きました。

沿線の人は、自分たちの代わりに参ってくれると考え、家に泊めたり、食事を出したり、お金をあげたりして、 巡礼者を応援したそうです。

最初の峠が女鬼峠です。いちばん低い峠で、標高120m程です。

このあたりの相鹿瀬(おうかせ)という地名は、倭姫命の伝説からです。

倭姫命がご巡幸の旅の途中、この場所で瀬(川)で死んだ鹿に出会ったことからこの地名がついたといわれています。 また、笠木という地名もあり、倭姫命がご自分の笠を木にかけた場所だからその地名がついたそうです。

「わだち跡」に来ました。荷車の轍の跡です。江戸時代には物流が盛んになり、伊勢のほうに荷車で荷物を運ぶため、この道を開きました。

(もともとはこの下のほうに道がありました。)

千枚岩という比較的もろい岩の上を通ったことから、荷車の轍ができ、そこに雨が降ると水が更に轍を深くしました。 経済発展でこういう道が作られたんですね。

女鬼峠保存会の方が作られた手作りの看板があります。何か地元で誇れるものをと、熊野古道を整備されました。 一人が古道の草刈りをはじめ、山に仕事できた地元の人が参加し、保存会ができました。

会員は30人くらいいらっしゃいます。春と秋にはウォーキングのイベントがあり、獅子鍋を頂けるそうです。 観光三重などのホームページでご案内されています。秋はコスモスの開花に合わせて実施されます。

ツヅラト峠からが世界遺産なので、女鬼峠は軽視されがちとのことで、保存会が色々と県にお願いしてくださって、最近は 目を向けてもらえるようになってきたそうです。

ただ、逆に世界遺産でないので、自由に木を切ったり整備ができるという利点もあります。

山を少し切り開いて女鬼峠近くに展望台も作られました。

女鬼峠手前の石垣は「野面積み」という積み方です。熊野古道にある石垣はほとんどが野面積みです。 滋賀県の琵琶湖の近く「穴太衆(あのうしゅう)」という石工集団がありますがその流れを汲んだ作りだそうです。

茶屋の跡がありますが、資料がないので詳しくわからないそうです。

このあたりは、中央構造線が通っています。1億数千万年前の断層で、今はほとんど動かないとされています。 地震が起こって断層がずれた時に、近辺の岩に圧力がかかり、破砕体となりました。 この千枚岩は、もともと柔らかい岩でしたので、そこを荷車を通すために掘り広げました。 これが女鬼峠の「切通し」です。江戸時代に作られました。

ちょうどこの時代、めずらしく紀州藩から吉宗という将軍が生まれましたので、 その関係もあって大規模な整備ができたのだともいわれています。大名行列に使ったかはわかりませんが、 紀州から人々が田丸藩の方へ行き来したらしいです。

要所に馬も配置して、馬で急ぎの伝令を知らせたそうです。

画像の可愛い女の子は女鬼峠保存会のイメージキャラクターの「めきこちゃん」です。

展望台へ寄り道します。

国束山(くづかやま)へ登る尾根伝いの道があります。昔は国束寺があり、お参りの人が登られました。 お寺の跡は残っているそうです。

西相鹿瀬、大台町、宮川や茶畑が見えます。見えている国道を進むと、 柳原観音があります。その先には元坂酒造(げんざかしゅぞう)さんもあります。

獅子ヶ岳には風力発電の風車が見えます。 獅子ヶ岳は、頂上の下に岩盤があり、休憩するといい気分だそうです。

展望台の斜面にはハナミズキやミツバツツジ、楓を保存会の方が植樹されていました。

山の向こうは南伊勢の海で、海風を利用して風車が回っています。 女鬼峠の切り通しを越えてすぐの所には、如意輪観音像と無阿弥陀仏の名号碑があります。

名号碑は、徳川家康の側室お梅の方が伊勢に建てられた梅香寺(ばいこうじ)の僧侶が彫られました。 旅人が災難に合わないように彫られました。

如意輪観音は首をかしげて頬杖ついていらっしゃいます。 こちらも旅人が安全に熊野へ行けるように見守ってくださっています。

このお堂は那智大社に向いて建てられています。旅人はここで遥かな熊野の聖地に思いを馳せたのでしょうか。

下ったところ、農業用水のため池で少し休憩します。江戸時代にできた池です。

太神宮寺(だいじんぐうじ)逢鹿瀬(おうかせ)寺は、伊勢神宮が建てた唯一のお寺です。 聖武天皇の娘さん、称徳天皇(しょうとくてんのう)が仏教を広めるため、伊勢神宮にお寺を建てるよう命じましたが、 伊勢神宮は神道ですので、お寺を建てるのが嫌だったんでしょうね。当時の伊勢神宮領の一番端にある、この相鹿瀬に建てられました。

ここのお坊さんと、神宮の領民との間で諍いなども起こり、寺があるから不吉なことが多いなどといわれて廃寺になりました。 掘ったら遺跡が出ると言われています。熊野古道は後にできたので、寺の領域に古道があります。 七堂伽藍や、5mもある仏像があったそうです。国分寺と同じ瓦が数点出土しています。

ここで女鬼峠は終わりです。コースを少し逸れて、えびす川原へ寄り道します。

鄙茅(ひなかや)さんは、ひなびた茅の家という意味で名付けられたそうです。

お昼をここで頂いたら最高!だそうです。

琵琶湖からヨシを買ってきて、岐阜と滋賀県の職人さんが長いことかかって屋根を葺かれたそうです。 料理人はまごの店(相可高校)を卒業し京都の吉兆で修行した卒業生の方だそうです。 ご主人は、子供の頃よくこのあたりに遊びに来ていて、この景色が好きで、ゆくゆくはここに料理屋を作りたいという 夢をかなえられたお店です。「うおすけ」さんという、鮎の甘露煮のお店が母体です。 故郷の田園風景を残すために田んぼも一緒に買い上げられました。できる人は作ってくださいと 地域の人と一緒に作られているそうです。

えびす川原では、朝買ったいばら饅頭を食べます。

えびすさんが祭ってあり、昔は市があったのかもしれません。 昔は船で荷物を運んでいたので、一日で伊勢に行けない時にはここに泊まっていたようです。

宮川には、アカザ(小型のナマズ)、カジカ、タマツカ、ヤツメウナギ ネコギギ、ウナギ、モズクガニ、 ナマズ アマゴ、アユもいます。 

時々猪が泳いでいたり、鹿も水を飲みにきます。

過去13回、日本一の清流になった宮川ですが、地元の方は「子供の頃は もっともっときれいだった、岩の上から底が見えて鮎が泳いでいるのも見えた」とおっしゃっていました。

今回のツアーでは柳原に向かいましたが、ここから五桂池に戻る周回コースもあります。国道から中女鬼峠を通って戻ります。 中女鬼峠も切り通しがあり、古の雰囲気が漂っています。

ムベの生垣の家があります。アケビににた実ができますね。

多気町でいちばんおおきな江戸時代にできたお地蔵さんがいらっしゃいます。旅の安全を祈願してくださっています。

このあたりの川に沿った道には、 昔は酒屋があり、下から水を汲んで酒造りをしていたそうです。また、 材木を大台ケ原の麓から宮川で伊勢に運ぶ時、ここにいかだをつけて宿泊できる旅館もありました。

その先には淨保法師の五輪塔があります。

法師が修行で各地を廻った後、ふるさと相鹿瀬に帰ると、宮川が氾濫し、疫病が流行り、村人が苦しんでいました。

復興もなかなかうまくいかず、法師は穴を掘って生き埋めとなることで仏に祈りました。その後、災害が無くなり穏やかな村になりました。 村人は法師に感謝し、眠る丘の上に五輪塔を建て弔いました。

その後、元坂酒造さんへ行き、奥様からお酒の説明をお聞きし、お酒を買わせていただきました。宮川の清流でお酒を醸されています。

本来では歩く予定でしたが、暑さのため車窓から栃原の茶畑を見学し、帰途につきました。もうすぐ茶摘みですね。

次回は栃原から三瀬坂峠を越えて瀧原宮まで歩きます。

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